貝葉書院
〒604-0912京都市中京区二条通木屋町西入
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一切経と版木:

「一切経」とは、仏教の百科事典であり、釈尊が説かれた「経」、生活の戒め「律」、釈尊と弟子が「経」と「律」を解説した「論」の三つの柱からなりたっています。これらを網羅したのを一切経といい、全六千九百五十六巻からなります。この一切経は、木版印刷が用いられており、版木は6万枚を要して、材料は版木として最適な吉野山の桜の木を用い、活字は明朝体です。この版木6万枚を一面にしきつめると三千六百坪、積み上げると阿蘇山(1592m)より200m高く、横につなぐと熊本―八代間の長さになるといわれます。またこの版木を今製作すると30億円は遥かに越えるといいますから、鉄眼禅師の資金集めがどれほど大変なものであったかが偲ばれます。現在、仏教の各宗派で使われているお経はいずれもこの一切経のうちに含まれており、一切経は「仏教の知恵の源」「東洋の光」あるいは「日本の心の源泉」とも言えます。歴史上、一切経の出版は中国で2回、日本で2回の出版があるのみですが、社会に広く普及せしめたのは鉄眼禅師なのです。
◆新商品追加情報
鉄眼版木版手摺  大般若経全六百巻 特上紙 紙表装同秩入 第一 巻から第百巻までを特製桐函(百巻函)に 入れて限定8組をご用意致しました。

重要文化財/萬福寺:
萬福寺は、1654年(江戸時代)、中国福建省から渡来した 隠元禅師が後水尾法皇や徳川四代将軍家綱公の崇敬を得て 1661年に開創された中国風の寺院。日本三禅宗(臨済・曹洞・黄檗)の一つ、隠元禅師、木庵禅師、即非禅師など 中国の名僧を原点とする黄檗宗の大本山である。
 
萬福寺は、中国の僧隠元(いんげん)禅師が江戸時代の初期(1661年)に開山した日本三禅宗のひとつ黄檗宗の大本山である。本尊は釈迦如来坐像。伽藍(がらん)(重文17棟)配置は明朝様式で、竜の姿を表していると言われ、卍崩しの高欄など中国禅寺の特徴を持った異国情緒の漂うお寺である。また、弥勒菩薩(みろくぼさつ)の化身といわれる布袋和尚像、十八羅漢像、観音菩薩像などの仏像は、写実的で迫真性に富んだ面相を特徴とする中国の仏師范道生(はんどうせい)の優れた作品として有名である。当時の名物である中国風精進料理の普茶料理は、見た目の華やかさとともに、ヘルシーな料理として人気を呼んでいる。長い歳月をかけて1681 年に完成した一切経版木約6万枚(うち48,275枚が重文)があり、現在まで受け継がれ、当書院にてお経を印刷している。

鉄眼禅師とは:
今から約三百七十年前(寛永7年元旦、1630)に鉄眼は、現在の小川町に生まれました。勉強家であり努力家でもあった鉄眼は七歳の時すでに観音経を習得し、村人を集めて仏の教えを説いていました。その説教の素晴らしさ、彼の雄弁ぶりはすでに幼い頃から定評があったと伝えられています。それから「一切経の完全なものが出版されていないのは残念である」、「是非とも、仏教を広く広めるために仏教テキストの総集である一切経を多くの人に知ってもらいたい」と彼は鉄よりも堅い意志で、一切経の出版を思い立ち、故郷の小川町を後にしました。
その後、中国渡来の師、隠元から中国で出版した一切経の原本を与えられ、現在の宇治市、宝蔵院を本拠として一切経出版の生涯の事業に取りかかるため、全国を津軽から薩摩までその資金集めの行脚の旅に出ました。 しかし、その「一切経出版資金集めの旅」は、言葉を絶する大変な旅であったといいます。大阪地方に大洪水が起こり多くの人々が死傷するなどの姿を見た鉄眼は、「私の一切経出版は仏教を興すにあり、仏教を興すは民を救うにあり」と今までせっかく得たお金をその救済のために投げ出し、そのあとまた今度は近畿地方に大飢饉がおこり、多くの人々が飢饉に苦しむのを見て再び出版資金を投げ出し救済にあたるなど、一度ならず二度までも集めた資金を投げ出しました。そして、三たび資金集めの旅を開始しましたが、今度はこれまで救済を受けた人々はもちろんのこと一般の人々も進んで寄付しました。やがて、資金も集まり着手から十年目、初志を貫徹した鉄眼は一切経(全六千九百五十六巻の)出版を成就しました。人間の限界を越えたその努力、不屈不撓の精神をもって奔走した鉄眼でありましたが、その過度の疲労から体調を壊し、翌年五十三歳でこの世を去りました。
鉄眼禅師による中興の寺黄檗宗慈雲山 瑞龍寺